ウクライナの切手 − ドイツ占領下のウクライナ



 1941年6月22日、突如侵攻したドイツ軍はたちまちソ連深く侵攻し、同年9月19日キエフ陥落。この10日後、ナチス軍はキエフ近郊のバビ・ヤールに強制収容所を作り、ここで、ユダヤ人・ジプシー・共産党員を初めとして、ロシア人・ウクライナ人など、数万〜10万人の大虐殺を行う。

 以下の切手は、ドイツ占領下のウクライナで使用されたものであり、ドイツ切手にUKRAINEと加刷している。
 キエフは、1943年11月にソ連軍により解放されたので、キエフでのこれらの切手の使用は1943年までである。なお、ウクライナ解放後も、他のナチス占領地区でウクライナ加刷切手は使用されている。



ヒットラー図案切手にUKRAINEと加刷(画像をクリックすると拡大します)




宣伝の絵が印刷された葉書
ドイツ占領以前にはポーランド占領下にあったROVNOの記念消印が押されている。
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ドイツ占領以前にはポーランド占領下にあったリボブ(ドイツ名Lenberg)で、ドイツ切手がそのまま使われている。
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1944年4月、ブレスト・リトフスクからドイツへ宛てられた速達





 最近、TVドラマで、戦時下の暮らしがいかに大変だったかを扱った、ドラマを見た。平和時に比べ、戦時下は大変だったといえば、その通りであるが、「日本の大変さ」と、「ソ連の大変さ」は質的に大いに異なり、ソ連に比べたら、日本はずっと楽だったと思えてならない。
 ナチスに占領・支配され、そのなかで、大量虐殺、奴隷化を体験した、ソ連の人たちの苦しみは、どれほどのものがあっただろうか、想像を絶する。
 日本の場合は、戦争といえば基本的には、他国を侵略し、他のアジア人を蹂躙することであった。それに対し、ソ連の場合は、2度の大戦いずれも、自国領を侵略され、自国の領土内が主戦場になっている。アメリカ合州国の場合は、戦争とは常に他国の領内で戦うものである。このような過去の歴史が、戦争に対する異なった意識を生み出しているようである。


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