日露関係ゆかりの地

日本最北端の地 宗谷

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宗谷岬

日本最北端の地


 宗谷岬の先端には「日本最北端の地」碑が建てられている。択捉島最北端のほうが北にあるので、北方領土四島返還論者には、この碑は批判が強い。地元は「宗谷には他に観光資源がないので」と言い訳をしているようだ。

 自衛隊員が並んでいた。


 天気がよければ、宗谷岬から、サハリンが見える
 肉眼では容易に見えるが、薄いので、写真に撮るのは難しい。左の写真はデジタルカメラで撮った画像のコントラストをあげたもの。海の向こうにサハリンの山並みが見える。


宗谷岬に建つ間宮林蔵の像
宗谷岬から渡樺したわけではないが
自衛隊のレーダー施設
宗谷岬の4km程南にある山の上に作られている


宗谷岬の道路を挟んだ反対側は、小高い岡で、そこは公園になっている。いろいろなモニュメントなどがある。

明治に作られた望楼 ラペルーズ顕彰記念碑
ラペルーズは1787年に海峡を通過した
太平洋戦争
 1943年10月11日の日米海戦で沈没した
米潜水艦乗組員や日本軍人の慰霊碑





松田伝十郎・間宮林蔵 渡樺の地

宗谷岬から稚内方面に3kmほど行ったところ。

間宮林蔵 渡樺の地 の説明看板 宗谷アイヌの碑 下品な石碑
新興宗教の碑




宗谷公園

さらに、稚内方面に進み、稚内市役所宗谷支所の先を内陸方面に少し入ると、宗谷公園・宗谷厳島神社があって、歴史モニュメントが立てられている。


左:津軽藩兵詰合の記念碑
 多くの津軽藩兵が水腫病などで死んだ。当時、コーヒーは水腫病の薬と考えられており、コーヒー豆が支給されたとの記録もあるそうだ。この碑は、コーヒーを飲むことができずに亡くなっていった藩士たちを悼み、津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり1992(平成4)年、9月建立したものである。

中央:会津藩士の墓
 宗谷公園には会津藩士の墓がある。写真は、傍らにあった記念碑。

右:宗谷公園の手前にあった「津軽・会津・秋田藩陣屋之地」碑

左:間宮林蔵の胸像・・・宗谷公園の少し奥に立てられている。

右:中千島方面戦没者慰霊碑



オンコロマナイ遺跡

 オンコロマナイ遺跡は、縄文時代晩期・続縄文・擦文・オホーツク・アイヌ文化の遺物。発掘品は、稚内市開基百年記念塔や北海道大学総合博物館に展示されている。

恩頃間内橋
遺跡は橋のすぐそば
オンコロマナイ遺跡を示す看板
草に埋もれていることもあるようだ
遺跡は草に覆われて、入れなかった



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