日露関係ゆかりの地

福井県 敦賀市

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戦前は、大陸への玄関口


写真は、敦賀港に停泊する、貨客船「さいべりや丸」。敦賀〜ウラジオストック間を航行していた。

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左写真は、ウラジオストックから金沢に宛てた葉書で、経由地の敦賀郵便局の消印が押されている。

右写真は、ウラジオストックから小樽に宛てた葉書で、経由地の敦賀郵便局の消印が押されている。切手とウラジオストックの消印は裏面。
     ウラジオストック 13.7.3→敦賀 13.7.18→小樽 13.7.20


原発の町

 戦後、大陸への玄関口の役割が終わると、原発の町として発展する。敦賀市には、高速増殖炉もんじゅ、日本原電敦賀原発があり、隣の美浜町には関西電力美浜原発がある。さらに、大飯原発・高浜原発も近く、原発密集地となっている。

 放射能の危険について、敦賀市はどのように考えているのだろうか。福井県敦賀市長(当時)高木孝一氏は講演で次のように発言している。子供の健康よりも目先の儲けが大切ということか。

 100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、それはわかりませんよ、わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。

 

左写真は、高速増殖炉もんじゅ。
 まともに動いたことはない。度重なる事故で運転停止中。2013年、1万件の点検違反が発覚して、当分の間再稼動停止。

右写真は、日本原電敦賀発電所。
 右側の褐色の建物が2号機。直下に活断層がある可能性が高いため廃炉になる恐れ。
 右奥の白い円筒は解体中の新型転換炉ふげん。





 高速増殖炉もんじゅ の概念図。







 関西電力・美浜原子力発電所。
 
 2004年8月9日、二次冷却系の配管が破断し、死者5名・重軽傷6名の大事故を起こした。


人道の港 敦賀ムゼウム

 シベリア出兵当時、シベリアで孤児になったポーランドの子供たちはウラジオストクを発ち、敦賀港に入港した。その後、大阪や横浜に移動し、故国へと帰国した。このときの話が、主にパネルで展示されている。
 また、第二次大戦期、ナチス占領下のリトアニアでは、ユダヤ人が弾圧された。カウナス日本領事館の杉原千畝領事代理は独断で、ユダヤ人たちに通貨ビザを発給した。これらの人たちは、シベリア経由で、ウラジオストックから敦賀に上陸、米国などへ移動した。このときの話が、パネルや、杉原千畝の遺品などで展示されている。
 
 展示パネルの記述の正確性について、疑問があるが、日本ではあまり知られていない内容の展示なので、一定の意義はあるだろう。



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